2014年9月5日金曜日

道新の記事へ物言い

ローカル新聞道新の記事「ドイツの武力行使」を読んで、一言
欧米ではユダヤ(イスラエル)の悪口を言わないことが不文律となっており、歴史認識を周辺国と共有していると分析しているがホントは我慢してるんだよね。
人種差別に象徴される差別や偏見がその根底にあり人間の持つ業の深さにある。哲学的に言えば人間生きていることが罪なのだ。出発点がここから始まらないといけない。
悪いのはナチス(ヒットラー)であってドイツ人ではないというレトリックで本気で誤ってはいません。戦争に負けて謝るという概念を彼らは(語弊はあるが一神教の連中、なんたって非を認めれば即悪者ですから)持ってませんよ。
何を持って謝罪とするのか?「このような悲劇が二度と起きないように努力してますよ」とか献花してスピーチして何処が謝罪なの?賠償って言ったって所詮金目でしょ。
過度のナショナリズムは戦争のための道具に過ぎない。為政者が利用しているのだ。戦争の原因の大半は行き過ぎた経済活動の成れの果てである。
戦争の発端にナショナリズムのみを強調する反戦論者をよく見かける。熊谷徹氏もそのうちの一人、24年もドイツに住んでいてドイツ人のどこを見てきたのか。(ドイツを美化しすぎ)
原発の問題でも自前ではエネルギーをまかなえないのは自明で、多角化(原子力を含め)を図っており、一部には汚い部分(原子力発電)はフランスにやらせて、金さえ払えばよいのかという議論があることもご存じのはず。
欧米人の得意なダブルスタンダード(二枚舌三枚舌は外交では当たり前でしょ!ルールだって自分たちの都合で平気で変えちゃいます。)を考慮すべきで前にも批判したロンドン在住のジャーナリスト木村氏と同じく彼らの理論に飲み込まれてます。
割と白黒がはっきりしている場合はいいが、判断が難しくなると大岡裁きの様な懐の深い落としどころ(解決策)を取れなくて紛争が長引く傾向がある。(アウヘーベンなどという小難しい論理を駆使して何とかしようとするがなかなか解決には至らない)
(ドイツについて悪く言うと周辺国の苦境をしり目にユーロ安でしこたま儲けていました)
因みに筆者の実姉はドイツに30年以上在住。日本の外交官のダメさもドイツ人の裏も表も良く知っていますよ。(欧米人の差別意識の根深さも、普段は人権なんて偉そうなこと言ってるが金のために平気で蹂躙する連中の言うことに惑わされてはいけない。)
取り留めなく思いつきを書いてしまった。