また10月24日付けローカル新聞道新の各自核論に突っ込み
まず三浦女史、皮肉っぽく言えば「過剰な対中意識、リスク内在」という対中意識のほうが問題
どこの国でも仮想敵を想定して防衛や外交を考えるものだ。
アフリカ、南米、南アジアに歓迎されているのは第一に日本と仲良くしたほうが都合がよい(得だ)からでイデオロギーでも、好きとか嫌いとかいう情緒的なものでもありません。
彼女に限らず言葉じりにこだわっている人が多いのが気になる。自衛権でいえば「個別的か集団的」、平和主義は「積極的か否か」言葉に特定のイメージを結び付けて語っちゃうんだよね。
対米追随外交の終焉の意味合いが大きくなった現在は。国を守るためには何でもやりますってことでしょう。武器輸出には条件を付けてましたよね。(明文化していれば安心満足している護憲派の方方)?どこにでもは売らないといっていますよ。戦争当事国とか同盟関係に危害を加えるような国とか。フランスみたいに利益になれば主義主張も関係なしで敵対する陣営にも軍艦(ロシア)や戦闘機(中東)を平気で売っちゃうような無節操なことはしないって。(確か中国にはミサイルを売ってたな)
日本の平和を守り、国民の安全を守ってきた憲法を、法律でひっくり返す「法の下克上」は、断じて認めるわけにはいかない。(誰かの受け売り文句、その通りとは思います)
護憲論者の弱点は、憲法に書いておけばOKという論理である。
実際には法(きまり)は運用されて初めて法となるのであって、書いてあるだけではだめなのである。憲法違反が山ほどあるのに実際の運用には熱心でない国民性が如実に出ているだけ。
のど元過ぎれば(反対すれば、明文化すれば)安心して、問題提起さえすればよいという無責任さは認められない。反対には代替え案が必要だし!
「国内の行き詰まった状況が、ナショナリズムを高めている」というセリフも韓国や中国には当てはまると思うが日本が該当するとは何を根拠に物言いしているのかな?
積極的平和主義に踏み出そうが一国平和主義であろうが中国の台頭による脅威(軍事的覇権主義)はなくならない現実にどうこたえるのでしょう。
アメリカだって自国のことしか考えていませんよ。(守ってくれないって事)それこそリスクがどうのなど言っている暇はなく本気で国防を論じなければならない時期に来ている。
次に芹沢氏の「不寛容の空気」とやらについて。いったい日本のどこに寛容な時代があったのかの説明がない。
いつの時代のどこで誰に対してどのような寛容さがあったのか具体例がないと現在の状況との比較ができません。
スタート地点のはっきりしない議論は議論にはなりません。(あいまいな抽象論と言われてしまいます)
雰囲気やイメージだけで語ってはいけません先生で物書きなんだから。
人間の持つ暗黒面(根源的負のエネルギー)に触れずに表層の差別現象(少年犯罪の厳罰化やヘイトスピーチ、ジュノサイト)を挙げているが、言っちゃーなんだが現象の説明なんて誰にでもできる。
有史以来営々と続けられている差別と暗黒面の克服をどうするのか、人間の英知(哲学)が求められている。
この手の論客といわれる人の弱点は具体性に乏しく。観念論に終始してしまい勝ちな点にある。
筆者なら教育の中で子供たちに暗黒面の克服について議論(考え)させるなどの提言ぐらいしますが。
なんか中途半端ですが今日はここまで。