筆者の有害人指定に登場してもおかしくない黒田日銀総裁。成果も出ない独善的経済理論(量的緩和政策など)に固執しているか、なんとでもなると自惚れているとしか思えません。
出口のない愚策を続けていることに対する怒りを禁じえません。
マイナス金利などもってのほかで資本主義経済の否定以外の何物でもない。
以下引用で申し訳ないが中野 剛志 氏の記事をどうぞ。大変興味深い。
※元記事はこちらから
※ケルトン教授来日してますね。記者会見見たけど質問する記者のレベルの低さに呆れました。恥ずかしい!!
異端の経済理論「MMT」を恐れてはいけない理由
すべての経済活動は「借金から始まっている」
前編「アメリカで大論争の『現代貨幣理論』とは何か」でも解説したように、いま、アメリカでは「現代貨幣理論」(MMT)をめぐって、オカシオコルテス下院議員やサンダース大統領候補のブレーンを務めたステファニー・ケルトン教授たちと、クルーグマン、サマーズ、パウエルFRB議長たちの間で、論争が展開され、議論が沸騰している。彼らは、どのような点で考え方が異なるのだろうか。
著書『富国と強兵 地政経済学序説』で、MMTをいち早く日本に紹介した中野剛志氏が、理論のポイントとともに解説する。
著書『富国と強兵 地政経済学序説』で、MMTをいち早く日本に紹介した中野剛志氏が、理論のポイントとともに解説する。
180度違う貨幣の考え方
筆者は「現代貨幣理論(MMT)」の登場を、以前、地動説や進化論のようなパラダイム・シフトになぞらえたが(アメリカで大論争の『現代貨幣理論』とは何か)、これは大げさな比喩ではない。
現代貨幣理論は、その名のとおり、「貨幣」論を起点とする経済理論であるが、この現代貨幣理論と主流派経済学とでは、貨幣の理解からして、180度違うのである。
まさに、地動説と天動説の相違と比肩できるほど、異なっているのだ。
では、ここで、現代貨幣理論が立脚する貨幣論について、ごく簡単に解説しよう。
今日、「通貨」と呼ばれるものには、「現金通貨(お札とコイン)」と「預金通貨(銀行預金)」がある。
「銀行預金」が「通貨」に含まれるのは、我々が給料の支払いや納税などのために銀行預金を利用するなど、日常生活において、事実上「通貨」として使っているからである。
ちなみに、「通貨」のうち、そのほとんどを預金通貨が占めており、現金通貨が占める割合は、ごくわずかである。
ここまでは、主流派経済学でも異論はないであろう。
問題は、通貨のほとんどを占める「銀行預金」と貸し出しとの関係である。
通俗的な見方によれば、銀行は、預金を集めて、それを貸し出しているものと思われている。
しかし、これは銀行実務の実態とは異なる。
実際には、銀行の預金が貸し出されるのではなく、その反対に、銀行が貸し出しを行うことによって預金が生まれているのである(これを「信用創造」という)。
驚かれたかもしれないが、これは事実である。
銀行の貸し出し増加が中央銀行の準備預金を増やす
例えば、A銀行がα企業に1000万円を貸し出すとする。
この場合、A銀行は手元にある1000万円を貸すのではない。
A銀行は、単に、α企業の銀行口座に1000万円と記帳するだけである。
いわば、銀行員が万年筆で記帳するだけで1000万円という通貨が生まれるというわけだ。それゆえ、預金通貨のことを「万年筆マネー」と呼ぶ者もいる。
このように、銀行とは、通貨を創造するという機能を持つ特別な制度なのである。
銀行は預金を元手に貸し出しを行うのではなく、その反対に、銀行による貸し出しが預金を生む。
それゆえ、原理的には、銀行は、返済能力のある借り手さえいれば、資金の制約を受けずに、いくらでも貸出しを行うことができてしまう。
ただし、銀行は、預金の引き出しに備えるために、預金の一定割合を中央銀行に「準備預金(日本であれば、日銀当座預金)」として預け入れることを法令で義務づけられている。
さて、主流派経済学は、中央銀行が「現金および準備預金(いわゆる「マネタリーベース」)」を増やすと、それが民間銀行によって貸し出され、乗数倍の貨幣が供給されると説いている。いわゆる「貨幣乗数理論」である。
ところが、実際の経済では、このようなことは起きえないのだ。
なぜならば、先ほど述べたように、銀行は、貸し出しを行うに当たって元手となる資金を必要としないからである。
預金を元手に貸し出しを行うのではなく、貸し出しによって預金が新たに創造されるのである。
銀行による貸し出しが行われるか否か(すなわち預金通貨が供給されるか否か)を決めるのは、借り手の資金需要があるか否かである。
そして、銀行が貸し出しを増やして預金を増やすと、法令により、準備預金を増やすことが義務づけられているので、準備預金が増えることになる。
要するに、銀行の貸し出し(貨幣供給)の増加が、中央銀行の準備預金を増やすのだ。
現代貨幣理論は、このように説明するのである。
この銀行の貸し出しに関する説明は、通俗観念に反するだけでなく、主流派経済学の理論とも、まったく正反対である。
主流派経済学によれば「ベースマネーの増加→銀行の貸し出し(貨幣供給の増加)」となる。しかし、現代貨幣理論は「銀行の貸し出しの増加→ベースマネーの増加」だと言う。
このように、現代貨幣理論と主流派経済学は、まさに、地動説と天動説のように違うのだ。
もっとも、以上の貨幣供給理論それ自体は、現代貨幣理論に固有の見解というわけではない。
根本的に間違っている貨幣についての理解
例えば、イングランド銀行の季刊誌における解説 も、同様の貨幣供給理論に立って、主流派経済学の誤りを指摘している。主流派経済学の貨幣供給理論は、中央銀行が実際に行っている貨幣供給の実態に反しているというのだ。
貨幣を正しく理解しているのは、主流派経済学ではなく、現代貨幣理論のほうなのだ。
現代貨幣理論こそが、経済学における「地動説」(正しい説)と言ってよい。
科学が発達し、言論の自由が保障されている現代において、「貨幣」という経済の最も基本的な制度に関して、経済学の主流派が「天動説」のごとき間違った理論を信じているというのは、驚きである。
なお、黒田総裁率いる日本銀行は、2013年から量的緩和(準備預金の増加)を実施し、貨幣供給量を増やしてデフレを克服しようとしてきたが、結果は、周知のとおり失敗に終わっている。
失敗した理由は、貨幣について正しく理解している者には、おのずと明らかであろう。
デフレ下では、企業など借り手に資金需要が乏しい。それゆえ、銀行は貸し出しを増やすことができないので、貨幣供給量は増えないのである。
銀行の貸し出しの増加が準備預金を増やすのであって、その逆ではない以上、日銀が量的緩和をやっても、銀行の貸し出しは増えない。
黒田日銀の量的緩和政策は、経済学の「天動説」に基づく誤った政策なのだ。
さて、以上の正しい貨幣理解を踏まえたうえで、最近の現代貨幣理論をめぐる論争を見てみよう。
現代貨幣理論は、「自国通貨を発行できる政府が財政破綻を懸念する必要はない」と主張する。
これに対して、ポール・クルーグマン やローレンス・サマーズ ほか、多くの論者が、「財政赤字は、金利の上昇を招く」という批判を展開している。
日本でも、財政健全化を強く求める論者は、「財政赤字が金利を急騰させたら、政府債務の利払い負担が膨らんでしまう。子や孫の世代にツケを残してはならない」と主張している。
主流派経済学の理論は、巨額の財政赤字は資金を逼迫させ、金利を上昇させると説明しているのだ。
ところが、現代貨幣理論は、財政赤字が金利を上昇させるという理論を否定するのである。
なぜ、財政赤字を増やしても、金利は上がらないのか。
その原理は、先ほどの正しい貨幣理解を踏まえれば、容易にわかるだろう。
再度確認すると、銀行の貸し出しは、預金を元手としない。反対に、貸し出しが預金を生む。
この原理は、政府の場合も同じである。
すなわち、財政赤字は、それと同額の民間貯蓄(預金)を生む。
主流派経済学が考えるように、民間貯蓄が財政赤字をファイナンスしているというわけではないのだ。
貨幣供給量は財政赤字の拡大によって増える
もう少し説明すると、こうなる。
政府が赤字財政支出をするに当たって国債を発行し、その国債を銀行が購入する場合、銀行は中央銀行に設けられた準備預金を通じて買う。この準備預金は、中央銀行が供給したものであって、銀行が集めた民間預金ではない。
そして、政府が財政支出を行うと、支出額と同額の民間預金が生まれる(すなわち、貨幣供給量が増える)のである。
貨幣供給量は、量的緩和ではなく、財政赤字の拡大によって増えるのだ。
したがって、「財政赤字によって資金が逼迫して金利が上昇する」などということは、起きようがない。
実際、日本では、過去20年にわたり、巨額の政府債務を累積し続ける中で、金利は世界最低水準で推移してきた。多くの主流派経済学者が「いずれ金利が急騰する」と予測してきたが、その予測はことごとく外れてきた。
その予測は、今後も実現することはないであろう。貨幣についての理解が、「天動説」並みに間違っているからだ。
日本で、現代貨幣理論が「極端」「過激」な主張として紹介されることが多いのも、わかるであろう。天動説を信じている者からすれば、地動説は「極端」「過激」に違いない。
しかし、その日本は、量的緩和の失敗といい、巨額の財政赤字の下での低金利といい、経済学の「地動説」たる現代貨幣理論を実証(主流派経済学を反証)しているのだ。
そして、現代貨幣理論に従えば、日本が貨幣供給量を増やしてデフレを脱却するための政策は、財政赤字の拡大だということになる。まさに、天動説から地動説へのパラダイム・シフト並みの大転換だ。
だが、このパラダイム・シフトは、やはり容易ではないだろう。
長年、既存のパラダイムを信じてきた人々にとって、そのパラダイムを変えることは精神的な苦痛だからだ。
また、異端とされる説を唱えると、主流派によって社会的な制裁を受ける可能性もあろう。
かつて、ガリレオは、天体観測により地動説を実証した結果、異端として宗教裁判にかけられてしまった。
もちろん、そこまで酷(ひど)くはないものの、現代貨幣理論は、主流派経済学者や政策当局者あるいは投資家からの批判にさらされている。
それにもかかわらず、アメリカでは、アレクサンドリア・オカシオコルテスという若い政治家が、異端説である現代貨幣理論の支持を堂々と表明した。
また、ステファニー・ケルトンをはじめとする現代貨幣理論の論者たちは、批判に対して果敢に反論して屈する気配がない。
これは、実に驚くべき光景である。
ここで注目すべきは、アメリカでは、この異端の現代貨幣理論が、もっぱらSNSを通じて広まっているということだ。
異端の経済理論が、学界の一部にとどまらずに、政治や言論の表舞台に躍り出るようなことは、以前であれば、考えにくかった。
SNSには、もちろん、フェイクニュースも広めてしまうという弊害がある。
だが、他方で、主流派や権威による無視や抑圧をすり抜けて、異端派・少数派の正しい議論を世の中に広めるという興味深い効用もあるようだ。
現代貨幣理論を「実証」した日本
さて、日本は、皮肉にも、現代貨幣理論を実証した国である。
ならば、現代貨幣理論は、日本でも一大ムーブメントを起こすであろうか。
それに関して、残念ながら、筆者は悲観的である。
権威に弱く、議論を好まず、同調圧力に屈しやすい者が多い日本で、異端の現代貨幣理論の支持者が増えるなどということは、想像もつかないからだ。
そうでなければ、20年以上も経済停滞が続くなどという醜態をさらしているはずがない。
とはいえ、まもなく元号が改まり、新たな時代を迎えようとしているというのに、悲観をかこってばかりというのもよろしくない。
(合理的な根拠は何もないのだが)改元を機として人心が改まり、経済学や経済政策のパラダイムもまた改まることに望みを託して、言論を続けたいと思う。
なお、現代貨幣理論に関心を持った方は、有志の方が作成したリンク集もあるので 、是非参照してほしい。