風観羽 情報空間を羽のように舞い本質を観る
若手社会学者の古市憲寿氏の新刊(新書)、『だから日本はズレている』が面白いという話を聞いたので、早速、読んでみた。
ということなので
若手社会学者 古市憲寿氏
筆者はもともと反古市なのでどうにも単純化された対立概念を振り回しているだけで深みのない論旨が気に入らない。恐るべき近未来像
古市流リアリズムの集大成と言っているが裏付けがない予想は思いつきと何ら変わりなく説得力がないと思うが皆さんはどう思います ?生活満足度が高い理由は『コンサマトリー』 古市氏が一貫して仮想敵とみなす、『おじさん』
「その謎を解く鍵は『コンサマトリー』という概念にある」
その謎ってなんですか?
「20代の生活満足度が、バブル以降の日本の経済指標が悪くなって行くのに反比例して、どんどん高くなって来ていること」らしい。
そもそも生活満足度の基準が明確にされておらず、社会の変化(価値の多様化)等も考慮されていないようで、筆者なんぞは”飢餓感(ハングリー精神)”が薄れただけじゃないのと思ってしまいますが?
最近よくつかわれている用語に「ルサンチマン」という言葉があるが、こちらのほうが強者にも弱者にも都合の良い解釈ができて、社会現象の説明には向いていると思うがどうでしょう。
若者 vs. 『おじさん』って対立軸(切り口)で無理に論じるのはどうかなと思います。
最近の若者に多い性向の一つぐらいでいいのでは?
古市氏二よれば『おじさん』の定義は
『いくつかの幸運が重なり、既得権益に仲間入りすることができ、その恩恵を疑うことなく毎日を過ごしている人』
実は性別や年齢は関係ない
自分たちの価値観を疑わない人のこと
ということは[若者]の定義は反『おじさん』ということになるの?インスツルメンタル(化) 『おじさん』のマインドの限界(インスツルメンタル・マインド)
裕福かどうかわからないが「親の庇護」という既得権下の[コンサマトリー]化したお子ちゃまは=『おじさん』?
どうも前提となる定義が曖昧で自己のイメージに都合よい「言葉の組み合わせ」(言い方が悪いが言葉遊び)しているようにしか思えません。
何が言いたいのか、何を主張したいのかよくわかりません。(社会はコンサマトリー(化)とインスツルメンタル(化)という概念だけで説明できるような単純なものではありません)
また途中から高次の『コンサマトリー』という別概念にすり替わるという禁じ手まで登場し混乱します。
インスツルメンタル(化)のおこぼれ(寄生)で成り立っているコンサマトリー(化)した連中が、将来の見通しもなく場当たり的に生きることをいつまでも許容できるはずもなく、宿主が枯れれば運命を共にするしかありませんね。
1. もう額に汗するだけでは夢は叶わない=>(昔から才覚のないものはダメでした)
2. 幸福になれない=>(幸福の定義がないので断定できませんよ、コンサマトリー(化)によって多くの若者が既に幸福になっちゃてません?)
3. 将来見通しに固執することのリスク=>(昔からそうです、当たり前)
なんか収まり悪いけど、今日はここまで。