ローカル新聞道新の各自核論に突っ込み
書かないつもりだったがやはり気になるところがあって取り上げる。
社説でメガバンクの政治献金に触れたのはまあよしとする。
所詮バンカーなどという(卑しいという自覚の無い)者達の下品な振る舞いはただあきれるばかりでとても上級な人間とはいえない。
最近の上場企業は最高益を出しながら株主配当ばかりで社会貢献してませんねー。最近ようやく税金を払うようになったら、献金だと、その前に手数料ただにするとか国民に還元だろ恩知らずが!!
又村上某がマスコミを賑わしてるが懲りない面々と言うこと。
儲けて悪いんじゃ無くて儲け方が駄目(悪い)だと言ってるの、下品なやつはいつまで経っても下品のまま!!
本題に戻って吉田先生の「デモのある風景」が問うているもの、なんと文学的な表題のこと!!ビスコンティの映画など個人的感傷は何の説明にもならない。
自発と共有が現代の街頭民主主義だと、自発じゃ無い多くの者と単なる寂しがりやの連帯にも見えますが褒めすぎ?考えすぎなのでは?
SEALDsや在特会のデモ行進、ハロウィンの馬鹿騒ぎいろんな解釈でしゃべる人が多いが筆者は単なる自己表現の一種に理屈をつけたのが正解だと思う、余りに思想や理念の持ち込みすぎ、そんなご大層にやってる連中ばかりでは無い。
まじめにコメントする気もあまりない。ホリエモンなどは過剰反応。ロケットだけやってろよ!!
もう一つの派閥の凋落の半藤氏
派閥が力を失ったのが小選挙区制と政治資金規正法だそうで一理あるとは思います。
政治理念の同じ者が集った事もあったでしょうが所詮金に群がる政治屋の集団、派閥に過剰な期待を持ちすぎ。何せ職業「政治家」の連中ですから。
日本の民主主義で定着しているのは多数決だけだからね。(少しはユダヤに学べだ!!)
政治家の小粒化も派閥の凋落も事実だが背景の説明が余りに不足、現象の説明だけなら極端な話必要ない、高度な話が聞きたいものだ。